2021年10月5日と6日、当館ではイタリア出身の演出家・振付家ルカ・ヴェジェッティさんの原案・演出により、
パフォーマンス「夢の解剖――猩々乱」を上演しました。エントランス・ホールの空間を活かすシリーズ「トランス/エントランス」の特別篇と銘打ち、名だたる能楽師のみなさんにご出演いただいて、まさに特別な2日間が実現しました。現在は、
映像作品としての「夢の解剖――猩々乱」の製作が進行中。12月1日より有料配信予定です。
当ブログにて、
シテの長山桂三さんによる白熱の稽古の様子はすでにお伝えしましたが、ここでは、本企画を担当した塚田美紀学芸員がルカさんに行ったインタビュー(近日デジタルコンテンツ《世田美チャンネル》で公開予定)のハイライト部分をご紹介します。テキストは公演当日のパンフレットにも掲載しましたが、今回は当日の様子など、さまざまな記録写真も交えてお届けします。
美術館の空間に、能を置く塚田美紀(以下TM): ルカさんは2017年、横浜能楽堂とニューヨークのジャパンソサエティーとの共同制作作品「左右左」を手がけました。能、舞踏、コンテンポラリーダンスのアーティストと協働し、能舞台の制約を活かした素晴らしい作品でしたが、今回は全く異なる環境の世田谷美術館のエントランスに、能を持ってくる試みですね。
世田谷美術館エントランス・ホール
ルカ・ヴェジェッティ(以下LV): 能をごく自然なかたちで見せつつ、その舞台、いわば「うつわ」となるエントランスがどれだけ能の可能性を高めるか、ということに挑むつもりです。能の世界の人間でもなければ、日本人でもない私にとっては、大きすぎるほどの挑戦です。にもかかわらず、私は幸運にも最良の能楽師の方々と出会い、他ならぬ彼らに背中を押してもらった。だから挑戦できるのです。
また、私の舞台芸術観がそもそも能から大きな影響を受け続けていますから、この素晴らしい演劇の形式を壊すつもりは毛頭ありません。この空間に能を置いたとき、どうすればより興味深く見えるか、また空間自体もよりおもしろく見せるにはどうしたらいいか。ただそういうことなのです。
TM: 今回のプロジェクトを始めるにあたり、まず大倉源次郎先生や長山桂三先生に、どのような演目が良いかを相談しましたね。いくつかいただいた候補から「猩々乱」を選ばれたのはなぜですか。
LV: まず、いただいた候補のなかで、完全なかたちで上演できるのは「猩々乱」だった、ということ。長い演目ですと部分的に切り取ることになりますが、それは避けたかった。また、「猩々乱」は構造がシンプルで、舞の部分が全体の3分の2を占めています。詞章や話の筋の展開よりも、演者の身体、パフォーマンスそのものがエッセンスであるような演目が、この場所で能を体験するには向いていると思ったのです。
「夢の解剖――猩々乱」 撮影:今井智己
また、劇場と美術館という空間の違いについても考えていました。劇場は、濃密な時間が圧縮され詰め込まれている空間だという了解がありますが、美術館はもっと自由ですね。開館中なら何時に行ってもよく、どの作品にどれくらい時間をかけて見るかも自分の勝手です。そのように本質的に自由度の高い空間でパフォーマンスを、まして能を見せることがどれほど難しいか。これら全てを考慮して「猩々乱」を選びましたが、間違っていなかったと思います。
見えないものへの想像力TM: ルカさんが当館で作品をつくってくださるのはこれが2回目です。前回は、ダンサーと観客が展示室から廊下を通り抜け、このエントランスに出てくる、というパフォーマンスでした(
「風が吹くかぎりずっと――ブルーノ・ムナーリのために」、2018年)。今回、空間に関して新たな発見はありますか。
「風が吹くかぎりずっと――ブルーノ・ムナーリのために…
「風が吹くかぎりずっと――ブルーノ・ムナーリのために…
LV: 前回は、動くオブジェとしてのダンサーとともに観客も移動していたので、すべては絶え間ない流れのなかにありました。今回、観客はずっと座っており、視線は演者に集中するでしょうが、それでも空間がひとつの生命体のようになるだろうと思っています。
このエントランスの空間にはさまざまに異なる奥行きがあり、縦横に伸びる線や特定の高さがあって、ある決まった比率でできています。光を用いることで、そうしたものがどのように変化して見えるか。建築のディテールに着目するようになって、発見は多いです。
「夢の解剖――猩々乱」 撮影:今井智己
ところで、前回の企画が終わって世田谷美術館の平面図を改めて見たとき、何かと能のことを考えている人間として、気づいたことがありました。建築家は、この美術館に能の空間を忍び込ませている、と。1階展示室に続く廊下と、このエントランス(※階段踊り場などの床面積も含む)の比率は、能楽堂における橋がかりと舞台の比率と同じです。
世田谷美術館のエントランス・ホールから1階展示室に続…
TM: そうでしたか。あの廊下は橋がかりをイメージして設計された、ということはお伝えした記憶がありますが、廊下とエントランスの比率については初耳です。
LV: ここのエントランスは床などに曲線が多用されているので、確かに気づきにくいとは思います。しかし比率で見ると確かにそうなのです。それが今回のプロジェクトの出発点になりました。この美術館は能舞台なのだ、ではどう使えるだろうか、と。
さて、能楽堂ですと、客席から橋掛かりと舞台が見えますが、このエントランスからは廊下が見えない。そしてこの「見えない」という問題こそが、他のすべてにつながるテーマになったのです。そこにあるのに見えない空間を、どうすれば示唆できるのか。もっと向こうには何がある? と人が想像できるようにするにはどうしたらいいのか。
「夢の解剖――猩々乱」より 撮影:今井智己
見えない、けれども感じることはできる、そのような状態をめざすべく、今回の光の使い方を考えました。見えない、ということですと、演者の入退場も、見えない空間と結びついています。彼らがどこから来てどこに帰ってゆくのか、私たちには見えないのですから。
想像力をどう開いていくのか。この作品に限らず、舞台芸術全般において重要なテーマだと思っています。
――2021年9月24日 世田谷美術館にて(採録・翻訳 塚田美紀)
※デジタルコンテンツ《世田美チャンネル》では、ルカさんのインタビュー動画(日本語字幕付き)を後日公開予定。ここでご紹介したお話のほか、「夢の解剖」というメインタイトルについて、またコロナ禍を背景に映像作品の創造を本格的に試みるに至った経緯などについて、ルカさんが語ります。