世田谷美術館で2022年12月から進行中の「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さん
のコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスです。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事を数回分まとめながら、順次ご紹介していきます。
【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス①】
2022年の冬至の日から始まった、振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。いまを生きてゆくことの言い知れぬ息苦しさをめぐって、ひっそりとスタートしたワーク・イン・プログレスです。そのプロセスについては、2023年3月、世田谷美術館の廊下で映像インスタレーションとして公開します。
息苦しさ、とは難しいテーマです。どのような方法でアプローチすれば良いのか、ということ自体も、手探りです。
中村さんとともに手探りするメンバーは、画家の泉イネさん、写真家の今井智己さん、そしてもうひとり、やはり写真家のトヨダヒトシさん。この文章を書いている世田谷美術館学芸員の塚田美紀も、アーティストの皆さんからは「メンバー扱い」していただいています。
2022年12月22日。冬至の午後遅く、初めて5人全員が揃いました。美術館を見守るクヌギの大樹に向き合い、また夕暮れの砧公園を少し歩き、閉館後、真っ暗で静かな美術館の廊下に行って、3月にここで何を見せることができるか、考えてみました。
難しいテーマには夜の闇がよく似合います。互いの顔もよく見えない状態で1時間ほど話したでしょうか。中村さんがふと踊り始めました。小さな始まりでした。
写真は、その時の中村さんの姿を、塚田が撮影したものです。
【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス②】
振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。2023年1月13日に、2回目の集まりがありました。メンバーは中村さん、画家の泉イネさん、写真家のトヨダヒトシさん、この記事を書いている学芸員の塚田美紀、そしてプロジェクトの記録を撮っていただく写真家の今井智己さんの5人です。
プロジェクトのテーマを手探りするのに、どんな方法を取ればいいか。「初回の冬至の日にやったことを、ルーティンとして繰り返してみては」と泉さんが提案しました。季節が巡る、という長いスパンの時間を意識しながらのプロジェクトですから、地道な「繰り返し」は相性が良さそうです。
クヌギの木を眺めてから砧公園に向かい、クヌギに戻る、というのがルーティンです。この日はなぜか、メンバーの視線が地面に釘付けでした。空ではなく大地に向かって奇妙に伸びた桜の枝。今しがた地中から穴が開いたばかりではと思える、たくさんのモグラ塚。ふと、トヨダさんが中村さんを呼びとめ、撮影し始めます。夕暮れが迫ってものがはっきり見えなくなるまで散策を続け、モグラや樹木の生についてとりとめもなく話し、すっかり暗くなる頃にクヌギの木のもとに戻ると、中村さんは、画家ウィリアム・ブレイクが描いた生命の樹のお話をしてくださいました。
閉館後、美術館の廊下で実験をしました。今井さんが前回撮ってくださった記録写真を、真っ暗な廊下に投影。巨大なクヌギの姿が浮かび上がります。その中で、今回の散策と思索を経た中村さんが動いてみる。それをさらに今井さんが撮る。そんな実験です。投影されたクヌギの木は、昼間とは別の生命体のようでした。写真は、実験中に塚田が撮ったものです。
数日後、中村さんから全員宛にメールがありました。ブレイクの小さな版画集を密かにバッグに忍ばせていたのに、どうしてもうまくお見せすることができなかった、とありました。それは、画家として生き、戦時中に戦争画を描くことを迫られて筆を折り、その後長く沈黙を貫いたという、中村さんのお祖父様の形見の版画集でした。
【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス③】
美術館に集まる日以外にも、「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」の活動は続いています。季節の行事について、時事問題について、あるいは幼い日や青春時代の経験について。長い長いメールがぽつぽつと往来します。メンバー同士が、それぞれの歩み方を少しずつ知ってゆくプロセス。初回の冬至の日に今井智己さんが撮った記録写真を、2回目に集まる前に各自で見て、感想を伝え合うこともそんな手探りのひとつでした。
冬至。4人のアーティストと1人の学芸員が初めて揃って顔を合わせる。クヌギの木を初めて5人で見上げる。誰もが落ち着いたふりをして、密かに心もとなく感じている。今井さんの写真には、初めての出会いの時にしかない、人やものとの距離の定まらなさが、静かに記録されていました。
中村さんをはじめ、泉イネさん、トヨダヒトシさん、今井智己さんは、みなそれぞれの領域で息長く作品発表の経験を積んできたアーティストです。が、今回のプロジェクトは、ダンサーは必ずしも踊らなくともよく、画家は描かねばならないわけではなく、写真家はいつも写真を撮るとは限らない、という前提で始まっています。表現者としてこの社会を生きる葛藤について考えるプロジェクトですから、「表現すること」に対して、メンバー全員が丁寧に、用心深い態度で向き合い直したいのでした。
とはいえ、プロジェクトを写真で記録する役目を負った今井さんは「何も撮らない」わけにはいかず、この記事を書いている学芸員の塚田美紀も、プロジェクトを「何かのかたちに導く」責務があります。
散策しながら、プロジェクトメンバーはとりとめもなく話を続けます。その思考の流れ、というよりむしろ、うまく流れていかない滞りや躓きをその姿のまま残し、共有することがどこまで可能か。それがこのプロジェクト自体の姿を決めるだろうという見込みがありました。塚田は今井さんの写真を見て、この姿ならきっと大丈夫、と思えました。あの日の時間が写っていましたね、と中村さん。写真1枚目は、撮影中の今井さん。2枚目は、夜の美術館の壁に投影した、今井さん撮影のクヌギの木です(2023年1月13日、塚田撮影)。