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セタビブログ

2023.04.04

「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」活動報告その4

世田谷美術館で2022年12月から2023年3月にかけて行われた「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスでした。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事より、第8回から最終回の第10回まで、まとめてご紹介します。

【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑧】



プロジェクトをとおして完成した映像インスタレーションについては、前回の連載でご紹介しました。映像の細部を集中的に詰めていったのが最後の活動日、2月27日です。ふたつの映像のうち、「散策」のための試みをあれこれ行った長い一日の、報告その1です。

休館日のこの日、まず中村恩恵さんと記録写真係の今井智己さんが、朝10時に美術館にやってきました。「散策」映像のリズムを整えるにはどうしても必要だ、と今井さんが考えた場面を撮影するためです。それは、美術館に集った日付を中村さんが紙に一つ一つ書きつける、というものでした。

今井さんが提案した撮影場所は、美術館2階にあるアートライブラリー。自然光が入り、大きな閲覧用テーブルがあります。初めはそのテーブルで、次には書棚の隅で、朝の日差しを浴びながら中村さんが鉛筆でゆっくりと日付を書いてゆきます。鉛筆は中村さんが手で削ったもので、ゴツゴツとした削り跡が印象的でした。

無類の読書好きである中村さんは、書物のある空間がとてもよく似合う方です。そして今井さんは、実はこのライブラリーがお気に入りで、以前よく訪れていた、とのこと。

使わないかもしれないけれど、この空間でポートレートも撮っておきたい、と今井さん。書棚を背にして窓際に座った中村さんに、今井さんが囁くようにポーズの指示を出し、シャッターを切ります。静謐で満ち足りた、なんとも言えず美しいひとときでした。

ポートレートは、「散策」映像の最後を締めくくる大切なイメージとして登場することになります。

写真1枚目は、ライブラリーでの撮影風景。2枚目は、それが活かされた「散策」映像のワンシーンです。こちらを見つめる中村さんのポートレートがいつしかモノトーンに変わり、クヌギの木がオーバーラップしてゆく。木に化身する中村さんの姿。いずれの写真も、塚田美紀が撮影しました。



【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑨】



映像の完成のためにさまざまなことを試みたプロジェクト最後の活動日、2月27日の報告その2です。

昼頃、画家の泉イネさんと写真家のトヨダヒトシさんが来館。これで全員揃いました。午後、これまでの集まりでトヨダさんが撮りためた写真を、初めて全員で見ることになりました。

トヨダさんは、印画紙に焼き付けられ、固定されたものとしての写真を発表することはありません。カラーポジフィルムのコマを1点ずつスライドにし、観客のいる場で、それらを自分の手で1枚ずつ送って投影するという、一期一会のライヴ・パフォーマンスとしてのみ発表するアーティストです。

今回のプロジェクトでは、トヨダさんのライヴは行わないことにしました。しかし、トヨダさんの眼を通してポジフィルムに残された数々の瞬間があった、という事実はとても大切で、その事実は「散策」映像に入れよう、ということになりました。

ポジフィルムを確認するためのライトボックスに、トヨダさんはスライドを1枚ずつ並べてゆきます。このプロジェクト以外の機会に撮られたものも出てきます。夕暮れの公園に佇むメンバー、その隣のスライドではトヨダさんの息子さんが眠っており、あるいはみずみずしい大根が画面いっぱいに捉えられている…。

大切な瞬間の連なりは、特定のテーマというまとまりに押し込められることはありません。そうしたトヨダさんのスタイルは、逆説的ながら、このプロジェクトの道行きにしっくりと馴染むものでした。

ライトボックス上にさまざまな瞬間のスライドがトヨダさんの手で散りばめられ、今井さんが撮影します。それらは「散策」映像にそっと差し挟まれて、スルスルと水平に流れゆく時間と、記憶に留め置かれ深く根を下ろす時間が交差するような場面を生み出しました。写真家がふたり参加することになったプロジェクトのユニークさは、このようなかたちで結実したのでした。

写真1枚目は、トヨダさんのスライドに見入るメンバーの姿。2枚目は、スライドが登場する「散策」映像のワンシーンです。いずれも、この報告を書いている塚田美紀が撮影しました。


【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑩】


2月13日の報告その3は、言葉とイメージをめぐる手探りについて。最終回です。

映像インスタレーションというかたちに向かう「カナリアプロジェクト」。加えて、このプロジェクトの勘どころは、もの言えぬ息苦しさをめぐって言葉を紡ぎ出す、という点にもありました。

振付家の中村さんは、驚くほど豊かな言葉の使い手です。振付とは大勢の他人の身体や技能を通して、まだ見ぬ世界を創り上げる仕事。言葉で表現できない領域に到達するためにこそ、ギリギリまで言葉を尽くして他者と関わる、と話してくれたことがあります。

そんな中村さんが、このプロジェクトでは言葉で大変苦労していました。本人曰く、「沈黙とはかりあえるだけの強度のある言葉」を、掴みかねていたようです。

他方、画家の泉イネさん、写真家のトヨダヒトシさんと今井智己さんも、それぞれに鋭敏な言語感覚の持ち主です。プロジェクト中に行き来する数々の言葉は、行く手を照らす灯りのようでした。

ある日、メンバー間でやりとりされた膨大なメールを泉さんが読み返し、印象に残った文章を日付順に抜き出してくれました。あえて発言者の名を記さないその文章の集積は面白く、学芸員の塚田美紀が整えて、「沈黙のまなざし 言葉の往来」と題した印刷物に仕立てることに。映像の傍に置けば、鑑賞者の助けにもなるでしょう。が、肝心の映像自体に、言葉を入れる必要はないのでしょうか。

寡黙な記録者であり、映像編集の重責も担う今井さんから、2月初旬、長く真摯なメールが届きました。「散策」の映像には、中村さんの一人称の語りが必要です。他のメンバーの言葉であれ、それは中村さんを通して出てくるものでなければ意味がない。断片でも構いません。2月13日の集まりで、中村さんの言葉をいただけませんか、と。

集まりの前日、真夜中に、中村さんから「クヌギ」という詩が届きました。幼い頃、木になることを夢見ていたのに「大人」になってしまった自身のことから始まるその詩は、過去から現在に至るたくさんの人々の死や悲しみ、憤りに思いを馳せながら書かれたものでした。息を詰め、闇に耳を澄ませて捉えたような、生々しい言葉の連なりです。

今井さんの方では、「散策」映像の試作版を用意していました。枯れ葉を落とすクヌギ、夕闇に沈んでゆく公園とカラス、モグラ塚を眺めるメンバー、雪の中で佇むクヌギ。何かを暗示しながらも、時の移ろいを慈しむように写真が連なります。

言葉とイメージをどう出合わせるか。プロジェクト最後の正念場です。メンバー全員で「クヌギ」を一語一語解きほぐすように読み、少しだけ語を差し替え、あるいは思い切って断ち落とす。信頼関係がなければ、恐ろしくてできない作業です。考えを巡らせる数秒の沈黙が、とても長く感じられます。そうして「剪定」を終えた詩は、今井さんに託されました。

一息ついて、メンバーは最後の散策に出ました。夕暮れ間近の公園で、それまで行かなかったような方向へと、なぜか足が進みます。互いの表情もよく見えないほど暗くなってから、トヨダさんも今井さんも、セルフタイマーを使って5人全員が揃った記念写真を撮りたい、と言いました。どう写っているかは誰も知らないままです。美術館に戻り、中村さんが最後に踊りました。

「散策」映像はどうなったか。
冬至の日のクヌギに始まり、最後は木に化身してゆく中村さんの姿へと続くなか、「クヌギ」の言葉がぽつりぽつりと字幕のように現れます。「あなたの夢を教えてほしい」と呼びかけ、プロジェクトが終わる春分の日の日付を中村さんが書き終わる前に、不意に幕切れがやってきます。

「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」の映像インスタレーションはもう終わったのに、まだ廊下で映像が流れている気がする、と中村さんからメールが来ました。プロジェクトはひっそりと続くかもしれません。

写真は、中村さんの最後のダンスのひととき。塚田が撮影しました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

M.T

投稿者:M.T

2023.04.04 - 01:50 PM