彫刻家と詩人、異色の芸術家兄弟。純粋な表現の探究の軌跡
橋本平八(1897-1935)と北園克衛(本名:橋本健吉、1902-1978)は実の兄弟で、現在の三重県伊勢市に生まれました。兄の橋本平八は、大正期から昭和前期に再興日本美術院彫刻部に属して彫刻家として活動します。そして、38歳の若さで早逝しました。一方、弟の北園克衛は、日本の前衛詩を代表する詩人の一人として、また書籍装幀やイラスト、詩誌の編集等で国際的にも知られた存在でした。
橋本平八は日本の古仏と仏教思想などを研究して宗教的な主題の木彫を多数制作しました。また、橋本は西洋の思想や哲学にも関心を寄せ、さらに江戸時代の円空仏から強い啓示を受けて、独自の彫刻思想を確立します。生命の神秘に迫った《猫》、自然界の造型作用を視覚化した《石に就て》など橋本の彫刻は現代でも注目され、彼の思想の解明と歴史的な位置づけが待たれています。
北園克衛は、大正から昭和の初めにかけての新興芸術運動に参加し、詩人として活動を開始しました。シュルレアリスムの影響を受けたのち、言葉をオブジェのように扱う独自の詩作を展開し、1935年に結成したVOUクラブと、機関誌『VOU』を拠点に、亡くなるまで詩を発表します。海外の詩人とも交流し、写真による詩〈プラスティック・ポエム〉は世界各国で高く評価されました。
兄・橋本平八の伝統的性格を帯びた木彫と、弟・北園克衛の先鋭的な詩作やデザインは、対照的に見えます。しかし、北園が「私に芸術を吹きこんだのはこの兄であった」と記したように、二人の芸術世界は互いの交流を通じて形成されたと考えられます。橋本平八については、近年の調査によって未公刊の手記や書簡、絵画作品等が発見され、そうした調査研究の成果を活かした新たな作家像の提示が課題となっています。また、北園克衛については、在米の北園研究家が長年にわたって収集した膨大な資料の調査と紹介が今回許可され、こうした資料を活用した北園克衛の全体像紹介が可能になりました。
こうした背景のもとに開催する本展覧会は、近年の調査研究成果を活かしつつ、橋本平八と北園克衛の全体像を紹介して、二人の活動の意義を検証すること、あわせて兄弟間の様々な交流が各人の芸術世界形成にどのように作用したかを考察することを大きな目的としています。
橋本平八は日本の古仏と仏教思想などを研究して宗教的な主題の木彫を多数制作しました。また、橋本は西洋の思想や哲学にも関心を寄せ、さらに江戸時代の円空仏から強い啓示を受けて、独自の彫刻思想を確立します。生命の神秘に迫った《猫》、自然界の造型作用を視覚化した《石に就て》など橋本の彫刻は現代でも注目され、彼の思想の解明と歴史的な位置づけが待たれています。
北園克衛は、大正から昭和の初めにかけての新興芸術運動に参加し、詩人として活動を開始しました。シュルレアリスムの影響を受けたのち、言葉をオブジェのように扱う独自の詩作を展開し、1935年に結成したVOUクラブと、機関誌『VOU』を拠点に、亡くなるまで詩を発表します。海外の詩人とも交流し、写真による詩〈プラスティック・ポエム〉は世界各国で高く評価されました。
兄・橋本平八の伝統的性格を帯びた木彫と、弟・北園克衛の先鋭的な詩作やデザインは、対照的に見えます。しかし、北園が「私に芸術を吹きこんだのはこの兄であった」と記したように、二人の芸術世界は互いの交流を通じて形成されたと考えられます。橋本平八については、近年の調査によって未公刊の手記や書簡、絵画作品等が発見され、そうした調査研究の成果を活かした新たな作家像の提示が課題となっています。また、北園克衛については、在米の北園研究家が長年にわたって収集した膨大な資料の調査と紹介が今回許可され、こうした資料を活用した北園克衛の全体像紹介が可能になりました。
こうした背景のもとに開催する本展覧会は、近年の調査研究成果を活かしつつ、橋本平八と北園克衛の全体像を紹介して、二人の活動の意義を検証すること、あわせて兄弟間の様々な交流が各人の芸術世界形成にどのように作用したかを考察することを大きな目的としています。