日本のダ・ヴィンチ 村山知義の初の大回顧展
前衛美術・建築、ダンスパフォーマンス、舞台美術、映画、小説、戯曲、評論、イラストレーション、装幀等・・・
万能の天才・村山知義の創造世界
村山知義(1901-1977)は大正から昭和初期にかけて大正期の新興美術運動の旗手として、前衛美術家グループ「マヴォ」や「三科」を結成しました。ベルリン留学中に出会ったダダや構成主義に触発され、帰国後、「意識的構成主義」という独自の理論のもとに発表した布を張り付けた油彩や、印刷物、毛髪、紐などで構成したアサンブラージュの作品は、日本の近代美術に決定的な影響を与えました。村山は美術作品を制作する以外にも、ドイツの新興ダンス・ノイエタンツに影響されたダンスパフォーマンスを披露しました。1924年には『現在の藝術と未来の藝術』、そして26年には『構成派研究』を出版するなど、現代美術の理論派として村山は新興美術を牽引しました。その後の活動は演劇方面に移り、舞台美術、衣裳デザインを手始めに、建築、映画、小説、戯曲、評論、グラフィックの仕事へと広がり、「日本のダ・ヴィンチ」と称されるほど多岐に亘ってゆきます。
本展では1920-30年代の前衛美術家時代の現存する数少ない美術作品を一堂に集め、ベルリン留学中に影響を受けたクレーやカンディンスキー、アーキペンコらの作品、留学を共にした和達知男、永野芳光の作品を加え、村山知義の作品を振り返ります。建築の仕事としては大正期新興美術の拠点となった自宅兼アトリエの「三角の家」、詩人・吉行エイスケの妻・あぐりが経営した「山の手美容院」、当時最先端の映画館「葵館」の内装などを写真や図面で紹介します。舞台美術の仕事としては、築地小劇場のカイザー作「朝から夜中まで」の公演で、村山は演出家の土方與志に懇願し、日本初の構成主義的な舞台装置を制作して話題となりました。「朝から夜中まで」の舞台装置の模型や当時の公演の様子を映した記録写真などで再現致します。その他劇作家、脚本家、演出家、舞台装置家、衣裳デザイナー、そして映画監督として八面六脾の活躍をした村山の仕事ぶりを戯曲、シナリオ、舞台装置画、衣裳デザイン画、ポスター、プログラム、パンフレット、写真等で資料展示を行います。
村山は前衛美術家となる以前から童画家“Tom”として著名でした。『子供之友』や『コドモノクニ』など、戦前を代表する児童向け雑誌に掲載された村山のイラストを紹介します。童話作家の妻・籌子(かずこ)(1903-46)との名コンビで誕生した名作『三匹の小熊さん』はオリジナルの原画が出版社に現存しており、原画を展示するとともに、原画をもとに製作された日本最初期のアニメといわれる『三匹の小熊さん』のDVDも会場で上映致します。
最後に、村山知義は20代の頃より、自分の仕事に関係する新聞記事の切り抜き、展覧会及び舞台の批評、自筆原稿の掲載紙、作品・童画の掲載紙、舞台写真、公演パンフレット、チラシ、ポスターなど、演劇関係の資料をスクラップブックに貼り込み保存していました。自宅が空襲により焼失し作品の多くは失われてしまったものの、スクラップブックは特高警察に押収されていたため、戦火を免れ奇跡的に無事でした。一部警察に剥ぎ取られてしまったものや失われてしまったものもありますが、ほとんどが現存し、総数は188冊という膨大なものとなっています。村山の自分史ともいえる貴重な資料ですが、一方で大正・昭和の時代の証言を集めた文化史となっています。その中から代表的なものをいくつか選び、展示致します。
万能の天才・村山知義が創造する宇宙的な広がりを持つ多様な世界を皆様体験してみてはいかがでしょうか。村山知義の軌跡を初めて検証する本展を是非ご覧ください。
万能の天才・村山知義の創造世界
村山知義(1901-1977)は大正から昭和初期にかけて大正期の新興美術運動の旗手として、前衛美術家グループ「マヴォ」や「三科」を結成しました。ベルリン留学中に出会ったダダや構成主義に触発され、帰国後、「意識的構成主義」という独自の理論のもとに発表した布を張り付けた油彩や、印刷物、毛髪、紐などで構成したアサンブラージュの作品は、日本の近代美術に決定的な影響を与えました。村山は美術作品を制作する以外にも、ドイツの新興ダンス・ノイエタンツに影響されたダンスパフォーマンスを披露しました。1924年には『現在の藝術と未来の藝術』、そして26年には『構成派研究』を出版するなど、現代美術の理論派として村山は新興美術を牽引しました。その後の活動は演劇方面に移り、舞台美術、衣裳デザインを手始めに、建築、映画、小説、戯曲、評論、グラフィックの仕事へと広がり、「日本のダ・ヴィンチ」と称されるほど多岐に亘ってゆきます。
本展では1920-30年代の前衛美術家時代の現存する数少ない美術作品を一堂に集め、ベルリン留学中に影響を受けたクレーやカンディンスキー、アーキペンコらの作品、留学を共にした和達知男、永野芳光の作品を加え、村山知義の作品を振り返ります。建築の仕事としては大正期新興美術の拠点となった自宅兼アトリエの「三角の家」、詩人・吉行エイスケの妻・あぐりが経営した「山の手美容院」、当時最先端の映画館「葵館」の内装などを写真や図面で紹介します。舞台美術の仕事としては、築地小劇場のカイザー作「朝から夜中まで」の公演で、村山は演出家の土方與志に懇願し、日本初の構成主義的な舞台装置を制作して話題となりました。「朝から夜中まで」の舞台装置の模型や当時の公演の様子を映した記録写真などで再現致します。その他劇作家、脚本家、演出家、舞台装置家、衣裳デザイナー、そして映画監督として八面六脾の活躍をした村山の仕事ぶりを戯曲、シナリオ、舞台装置画、衣裳デザイン画、ポスター、プログラム、パンフレット、写真等で資料展示を行います。
村山は前衛美術家となる以前から童画家“Tom”として著名でした。『子供之友』や『コドモノクニ』など、戦前を代表する児童向け雑誌に掲載された村山のイラストを紹介します。童話作家の妻・籌子(かずこ)(1903-46)との名コンビで誕生した名作『三匹の小熊さん』はオリジナルの原画が出版社に現存しており、原画を展示するとともに、原画をもとに製作された日本最初期のアニメといわれる『三匹の小熊さん』のDVDも会場で上映致します。
最後に、村山知義は20代の頃より、自分の仕事に関係する新聞記事の切り抜き、展覧会及び舞台の批評、自筆原稿の掲載紙、作品・童画の掲載紙、舞台写真、公演パンフレット、チラシ、ポスターなど、演劇関係の資料をスクラップブックに貼り込み保存していました。自宅が空襲により焼失し作品の多くは失われてしまったものの、スクラップブックは特高警察に押収されていたため、戦火を免れ奇跡的に無事でした。一部警察に剥ぎ取られてしまったものや失われてしまったものもありますが、ほとんどが現存し、総数は188冊という膨大なものとなっています。村山の自分史ともいえる貴重な資料ですが、一方で大正・昭和の時代の証言を集めた文化史となっています。その中から代表的なものをいくつか選び、展示致します。
万能の天才・村山知義が創造する宇宙的な広がりを持つ多様な世界を皆様体験してみてはいかがでしょうか。村山知義の軌跡を初めて検証する本展を是非ご覧ください。