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国内外で長く活躍してきた振付家・ダンサー中村恩恵のコンセプトによる、2022年の冬至から2023年の春分の日までのプロジェクト。アーティストが社会のカナリア――危機が訪れるとその声が聞こえなくなる存在――になっていないかと自問し、この社会を生きぬく葛藤について考えたかったという中村は、世田谷美術館を見守るクヌギの木に思いを託します。画家の泉イネ、写真家のトヨダヒトシも交えて、それぞれに踊り、描き、撮り、語り、またときに沈黙しながら、思索を深めることになりました。月に2回、夕暮れどきに集まってクヌギの姿を見つめ、砧公園を散策後、夜の美術館で中村が踊る…答えにたどりつくために何度も問いを闇に投じる、その繰り返しの軌跡を、写真家・今井智己の記録写真によって、映像インスタレーションとしてお見せします。会場は、世田谷美術館1階の、レストランに向かう廊下。日中でもほの暗く、物思いにふけるのにふさわしいこの空間は、中村が踊った現場でもあります。映像に導かれるように歩みを進めると、その先では春の光にたたずむ大クヌギが、静かに待っています。ぜひお運びください。3/18(土)13:00-14:00、中村によるトークも実施します。※トークは3/11(土)12:00より予約開始→中村恩恵トーク予約3か月にわたるプロジェクトの進行は、世田谷美術館パフォーマンスInstagramにて連載しているほか、美術館公式サイトのブログで数回ずつまとめてご紹介しています。こちらもぜひご覧ください。世田谷美術館パフォーマンスInstagram「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」活動報告その1「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」活動報告その2「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」活動報告その3
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世田谷美術館で2022年12月から2023年3月にかけて行われた「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスでした。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事より、第8回から最終回の第10回まで、まとめてご紹介します。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑧】プロジェクトをとおして完成した映像インスタレーションについては、前回の連載でご紹介しました。映像の細部を集中的に詰めていったのが最後の活動日、2月27日です。ふたつの映像のうち、「散策」のための試みをあれこれ行った長い一日の、報告その1です。休館日のこの日、まず中村恩恵さんと記録写真係の今井智己さんが、朝10時に美術館にやってきました。「散策」映像のリズムを整えるにはどうしても必要だ、と今井さんが考えた場面を撮影するためです。それは、美術館に集った日付を中村さんが紙に一つ一つ書きつける、というものでした。今井さんが提案した撮影場所は、美術館2階にあるアートライブラリー。自然光が入り、大きな閲覧用テーブルがあります。初めはそのテーブルで、次には書棚の隅で、朝の日差しを浴びながら中村さんが鉛筆でゆっくりと日付を書いてゆきます。鉛筆は中村さんが手で削ったもので、ゴツゴツとした削り跡が印象的でした。無類の読書好きである中村さんは、書物のある空間がとてもよく似合う方です。そして今井さんは、実はこのライブラリーがお気に入りで、以前よく訪れていた、とのこと。使わないかもしれないけれど、この空間でポートレートも撮っておきたい、と今井さん。書棚を背にして窓際に座った中村さんに、今井さんが囁くようにポーズの指示を出し、シャッターを切ります。静謐で満ち足りた、なんとも言えず美しいひとときでした。ポートレートは、「散策」映像の最後を締めくくる大切なイメージとして登場することになります。写真1枚目は、ライブラリーでの撮影風景。2枚目は、それが活かされた「散策」映像のワンシーンです。こちらを見つめる中村さんのポートレートがいつしかモノトーンに変わり、クヌギの木がオーバーラップしてゆく。木に化身する中村さんの姿。いずれの写真も、塚田美紀が撮影しました。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑨】映像の完成のためにさまざまなことを試みたプロジェクト最後の活動日、2月27日の報告その2です。昼頃、画家の泉イネさんと写真家のトヨダヒトシさんが来館。これで全員揃いました。午後、これまでの集まりでトヨダさんが撮りためた写真を、初めて全員で見ることになりました。トヨダさんは、印画紙に焼き付けられ、固定されたものとしての写真を発表することはありません。カラーポジフィルムのコマを1点ずつスライドにし、観客のいる場で、それらを自分の手で1枚ずつ送って投影するという、一期一会のライヴ・パフォーマンスとしてのみ発表するアーティストです。今回のプロジェクトでは、トヨダさんのライヴは行わないことにしました。しかし、トヨダさんの眼を通してポジフィルムに残された数々の瞬間があった、という事実はとても大切で、その事実は「散策」映像に入れよう、ということになりました。ポジフィルムを確認するためのライトボックスに、トヨダさんはスライドを1枚ずつ並べてゆきます。このプロジェクト以外の機会に撮られたものも出てきます。夕暮れの公園に佇むメンバー、その隣のスライドではトヨダさんの息子さんが眠っており、あるいはみずみずしい大根が画面いっぱいに捉えられている…。大切な瞬間の連なりは、特定のテーマというまとまりに押し込められることはありません。そうしたトヨダさんのスタイルは、逆説的ながら、このプロジェクトの道行きにしっくりと馴染むものでした。ライトボックス上にさまざまな瞬間のスライドがトヨダさんの手で散りばめられ、今井さんが撮影します。それらは「散策」映像にそっと差し挟まれて、スルスルと水平に流れゆく時間と、記憶に留め置かれ深く根を下ろす時間が交差するような場面を生み出しました。写真家がふたり参加することになったプロジェクトのユニークさは、このようなかたちで結実したのでした。写真1枚目は、トヨダさんのスライドに見入るメンバーの姿。2枚目は、スライドが登場する「散策」映像のワンシーンです。いずれも、この報告を書いている塚田美紀が撮影しました。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑩】2月13日の報告その3は、言葉とイメージをめぐる手探りについて。最終回です。映像インスタレーションというかたちに向かう「カナリアプロジェクト」。加えて、このプロジェクトの勘どころは、もの言えぬ息苦しさをめぐって言葉を紡ぎ出す、という点にもありました。振付家の中村さんは、驚くほど豊かな言葉の使い手です。振付とは大勢の他人の身体や技能を通して、まだ見ぬ世界を創り上げる仕事。言葉で表現できない領域に到達するためにこそ、ギリギリまで言葉を尽くして他者と関わる、と話してくれたことがあります。そんな中村さんが、このプロジェクトでは言葉で大変苦労していました。本人曰く、「沈黙とはかりあえるだけの強度のある言葉」を、掴みかねていたようです。他方、画家の泉イネさん、写真家のトヨダヒトシさんと今井智己さんも、それぞれに鋭敏な言語感覚の持ち主です。プロジェクト中に行き来する数々の言葉は、行く手を照らす灯りのようでした。ある日、メンバー間でやりとりされた膨大なメールを泉さんが読み返し、印象に残った文章を日付順に抜き出してくれました。あえて発言者の名を記さないその文章の集積は面白く、学芸員の塚田美紀が整えて、「沈黙のまなざし 言葉の往来」と題した印刷物に仕立てることに。映像の傍に置けば、鑑賞者の助けにもなるでしょう。が、肝心の映像自体に、言葉を入れる必要はないのでしょうか。寡黙な記録者であり、映像編集の重責も担う今井さんから、2月初旬、長く真摯なメールが届きました。「散策」の映像には、中村さんの一人称の語りが必要です。他のメンバーの言葉であれ、それは中村さんを通して出てくるものでなければ意味がない。断片でも構いません。2月13日の集まりで、中村さんの言葉をいただけませんか、と。集まりの前日、真夜中に、中村さんから「クヌギ」という詩が届きました。幼い頃、木になることを夢見ていたのに「大人」になってしまった自身のことから始まるその詩は、過去から現在に至るたくさんの人々の死や悲しみ、憤りに思いを馳せながら書かれたものでした。息を詰め、闇に耳を澄ませて捉えたような、生々しい言葉の連なりです。今井さんの方では、「散策」映像の試作版を用意していました。枯れ葉を落とすクヌギ、夕闇に沈んでゆく公園とカラス、モグラ塚を眺めるメンバー、雪の中で佇むクヌギ。何かを暗示しながらも、時の移ろいを慈しむように写真が連なります。言葉とイメージをどう出合わせるか。プロジェクト最後の正念場です。メンバー全員で「クヌギ」を一語一語解きほぐすように読み、少しだけ語を差し替え、あるいは思い切って断ち落とす。信頼関係がなければ、恐ろしくてできない作業です。考えを巡らせる数秒の沈黙が、とても長く感じられます。そうして「剪定」を終えた詩は、今井さんに託されました。一息ついて、メンバーは最後の散策に出ました。夕暮れ間近の公園で、それまで行かなかったような方向へと、なぜか足が進みます。互いの表情もよく見えないほど暗くなってから、トヨダさんも今井さんも、セルフタイマーを使って5人全員が揃った記念写真を撮りたい、と言いました。どう写っているかは誰も知らないままです。美術館に戻り、中村さんが最後に踊りました。「散策」映像はどうなったか。冬至の日のクヌギに始まり、最後は木に化身してゆく中村さんの姿へと続くなか、「クヌギ」の言葉がぽつりぽつりと字幕のように現れます。「あなたの夢を教えてほしい」と呼びかけ、プロジェクトが終わる春分の日の日付を中村さんが書き終わる前に、不意に幕切れがやってきます。「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」の映像インスタレーションはもう終わったのに、まだ廊下で映像が流れている気がする、と中村さんからメールが来ました。プロジェクトはひっそりと続くかもしれません。写真は、中村さんの最後のダンスのひととき。塚田が撮影しました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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世田谷美術館で2022年12月から進行中の「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスです。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事より、第6回目・7回目をまとめてご紹介します。映像インスタレーションが公開され、中村さんのトークが行われました。クヌギの木は芽吹き始めました。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑥】本日、美術館廊下にて映像インスタレーションが完成。明日3/14から3/21までの公開です。写真2点は設営終了直後、17時頃に塚田美紀が撮影しました。プロジェクト同様、インスタレーションも夕刻の光がよく似合うようです。会場に設置したごあいさつ文を全文掲載します。「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」は、国内外で長く活躍してきた振付家・ダンサー中村恩恵のコンセプトによる、2022 年の冬至から 2023 年の春分にかけてのワーク・イン・プログレスです。その経過を、ふたつの映像からなるインスタレーションとしてご紹介します。アーティストが社会のカナリアー危機が訪れるとその声が聞こえなくなる存在ーになっていないかと自問し、この社会を生きぬく葛藤について考えたかったという中村は、世田谷美術館を見守るクヌギの木に思いを託し、プロジェクトを始動しました。画家の泉イネ、写真家のトヨダヒトシがメンバーに加わって、クヌギを起点にそれぞれに踊り、描き、撮り、時に沈黙しながら語り合う、手さぐりの 3 ヶ月がスタートしました。プロジェクトを引き受けた当館学芸員の塚田美紀も、アーティストたちからメンバーの一員のように迎えられ、伴走しました。月に 2 回、夕暮れどきに集まってクヌギの姿を見つめ、砧公園を散策後、夜の美術館の闇 のなかで中村が踊る。メンバーはそのようなルーティンを見出しました。この繰り返しの軌跡を記録し、映像にまとめたのは、写真家の今井智己です。ひとつめの映像は、中村が美術館で踊る姿をとらえたものです。現場はこの廊下です。クヌギの木を壁に大きく投影するなかで踊り、それを今井が撮影。次に中村が踊る時には、前回のその写真を壁に投影し、また今井が撮影。回を重ねるごとに、踊る中村とその影が 4 人、 6 人と増えてゆき、写真のなかの闇はいっそう濃くなりました。ふたつめの映像には、メンバーが初めてクヌギの下に集った日から、夕刻の散策を重ねてゆく様子がまとめられています。映像には、中村による言葉が添えられています。沈黙、葛藤をテーマとするなか、クヌギに身を委ねることで生み出された、ひとつの詩でもあります。中村、泉、トヨダ、今井、塚田の 5 人は 3 ヶ月の間に数多くの言葉を交わしました。それ らもこのプロジェクトの重要な一部なので、「沈黙のまなざし 言葉の往来」と名づけ、皆 様に持ち帰っていただけるよう印刷物にしました。散策の映像の向い側に置いてあります。散策の映像の先では、春の光にたたずむクヌギが、静かに待っています。 どうぞゆっくりご覧になってください。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑦】3/18(土)、中村恩恵さんのトークが無事に終了しました。中村さんたちの手探りに伴走した学芸員の塚田美紀が聞き手となり、「沈黙のまなざし」というタイトルを持つ今回のプロジェクトがどのような経緯で始まり、メンバーと散策や対話を続けるなかでどのような発見があったのか、1時間ほど語っていただきました。「沈黙」するということ。それを当初ネガティブなこととしてとらえていた、と中村さんはいいます。画家だったお祖父様が戦争により筆を折って、その後ずっと黙されたためでもあります。でも祖父の沈黙があればこそ、長い時間を経たのちに自分がそれを引き受け、問い続けることが可能になっている。3ヶ月にわたるプロジェクトでそのことに気づき、すべては何らかの意味があることなのかもしれないですね、と中村さんは静かに微笑みました。プロジェクトの最終段階で浮かび上がった「足りないもの」のことも少し話題にのぼりました。それは「沈黙とはかりあえる」ような言葉のことであり、中村さん自身が、闇の中から掴み出すほかないものでした。沈黙に向き合うにせよ、言葉と対峙するにせよ、どちらも、ともすれば観念の檻のなかでの格闘になってしまいそうな作業です。ですが、そこから中村さんを連れ出したのはクヌギの木であり、目には見えない地下深くに張るその根であり、踏めば柔らかな土や、カラスやモグラや虫たちであった、ということでした。世界を全身で感じることで開かれるものがあると。恐る恐る掴んだ言葉はプロジェクトメンバーに差し出され、全員で一語一語確かめながら、最終形へと磨かれていきました。中村さんにとってはそれも初めての経験であったそうです。信頼関係がなければとてもできないことでもありました。詩のようなその言葉は、散策の映像の中にそっと埋め込まれています。アーティストと言葉というテーマについては、プロジェクトメンバーの最終活動日だった2/27の報告を書くときに、あらためてふれたいと思います。「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」、廊下の映像インスタレーションは残すところあと1日。3/21(火祝)で終わります。写真はトークの前に、塚田が撮ったものです。中村さんは静かにこの空間に身を置いていました。ほんの1、2分が永遠のように感じられることが何度もあるプロジェクトでした、とトークで語られたのも、印象的な場面のひとつでした。
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世田谷美術館で2022年12月から進行中の「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスです。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事のうち、第4回・第5回目をまとめてご紹介します。プロジェクトは大詰めを迎えつつあります。【【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス④】振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。2023年1月27日、3回目の集まりがありました。この日、メンバーは、美術館のクヌギの木が大きく姿を変えているのを目撃することになります。重くて長い枝を何本も落とすような大規模な剪定が、少し前に行われていたのです。4年前の夏、このクヌギにはある「事件」が起きました。自重に耐えかねた約300キロの大枝が、幹の部分からゆっくりと折れ始め、地に落ちたのです。以来、樹木の周辺は立ち入り禁止となり、美術館の廊下からクヌギのある広場へと出る扉も、封鎖されました。ガラス越しに木を眺めるだけの日々が始まりました。そんな手の届かない美しい木をめぐって始まったのが中村さんのプロジェクトです。しかし、遠からぬ日に再び人々が広場に集えるよう、剪定が入った様子。喜ばしいことです。が、枝々の切断面はとても生々しく、細かな枝先も姿を消して、クヌギは「はだか」にされたようにも見えました。夕方、砧公園の散策を終えて戻ってきたプロジェクトのメンバーは、それぞれ黙って木を見つめていました。「この姿が気に入る人もいると思うよ」と、トヨダヒトシさんが呟きました。館内の部屋でひと息ついたあと、中村さんにウィリアム・ブレイクの版画集を見せていただくことにしました。お祖父様の形見で、前回も持参していたのに、うまく出せなかった、と中村さんが告白したもの。手のなかに収まるほど小ぶりなその版画集は、旧約聖書の「ヨブ記」を題材にしたものでした。何も悪いことをしていない人間が苦難に遭い続ける物語。中村さんがゆっくりページをめくります。幻視者とも呼ばれるブレイクの版画は、どんなに小さくとも強烈な力で見る者を惹きつけます。が、細部に目を凝らすと、不思議なおかしみも漂ってきます。夜。真っ暗な廊下で実験の時間です。前回、クヌギの写真を壁に投影し、その前で踊る中村さんの姿を、今井さんが撮りました。その写真を壁面に投影しながら、中村さんがまた踊る。冬至のクヌギと年明けの中村さんとその影、そして今日の中村さんとその影が、闇の中で混在しています。その様子をまたまた今井さんが撮る。実験が続く暗がりの中、気づけば、泉イネさんが一心不乱に絵を描いていました。 写真1枚目は、前回の自身の姿とともに踊る中村さん。2枚目は、実験が終わって灯りをつけても描き続けていた泉さん。いずれも塚田が撮影しました。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス⑤】振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。2023年2月13日、4回目の集まりがありました。プロジェクトに最終的にどのようなかたちを与えるか、そこに向けて一気に動き出した日でした。クヌギの木へと続く美術館の廊下に、映像インスタレーションとしてどう着地させたらいいのか。舵取りを間違えてはならないところです。月2回、夕暮れに散策し、閉館後の美術館で写真とダンスの実験をする、というルーティンに沿って、記録係の写真家・今井智己さんは黙々と写真を撮り続けていました。それらは翌週メンバー全員にメールで共有され、さまざまな言葉を誘発していました。例えば「揺れ動く」という題を持つW. B・イェイツの詩のこと、踊り手のアイデンティティを揺らがせる振付のダンス作品のこと、あるいは、いま手がけている他の仕事や、人生の岐路にまつわる個人的な呟き――何かの間で引き裂かれつつ走っているような経験の言葉。2月初旬、3回目の集まりの記録写真を共有する際、今井さんは「散策」「プロジェクション」というふたつのフォルダに分けて送ってくれました。穏やかな夕暮れと、闇の濃い夜。どこまでも広がる外部と、暗い奥底へと引きずり込むような内部。とりとめのなかった手探りの時間に、構造が見出された瞬間です。インスタレーションはふたつの映像を必要とするだろう。今井さんの眼に映っている何かがありました。間髪入れずに、設営案も今井さんから届きました。4回目の集まり、2月13日は休館日。日中から廊下であれこれ実験ができます。施工業者にも来てもらい、夢中でプランを詰めます。たくさんの可能性をひとつひとつ試してみて、「プロジェクション」、つまり夜の実験は、ほぼ実験をしているとおりの方法で、やや斜めから大きく壁面に投影することに。そして「散策」はその先、クヌギの木まであと少しという場所で、こぢんまりと見せることになりました。気づけばすっかり暗くなっていました。18時をすぎてから、ルーティンの散策の開始です。しかも外は雨。傘をさし、濡れて黒光りする木々に会いにゆきました。美術館に戻り、中村さんが踊ります。いつものようにみな静かに見守りますが、熾火がくすぶっているような熱さが、その場にはありました。今日でかなりかたちが見えた、でもまだ足りないものがある。そのことについては次回、3月半ばごろに書きたいと思います。写真1枚目は、「散策」の映し方を試す今井さん、トヨダヒトシさん、中村さん。2枚目は、夜のクヌギ。3枚目は、実験で撮れた今井さんの写真を全員で確認中に、トヨダヒトシさんがその様子をさらに撮影中(3点とも塚田撮影)。
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世田谷美術館で2022年12月から進行中の「中村恩恵カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし Silent Eyes」。振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる、異色のワーク・イン・プログレスです。当館のパフォーマンスInstagramにて連載中の記事を数回分まとめながら、順次ご紹介していきます。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス①】2022年の冬至の日から始まった、振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。いまを生きてゆくことの言い知れぬ息苦しさをめぐって、ひっそりとスタートしたワーク・イン・プログレスです。そのプロセスについては、2023年3月、世田谷美術館の廊下で映像インスタレーションとして公開します。息苦しさ、とは難しいテーマです。どのような方法でアプローチすれば良いのか、ということ自体も、手探りです。中村さんとともに手探りするメンバーは、画家の泉イネさん、写真家の今井智己さん、そしてもうひとり、やはり写真家のトヨダヒトシさん。この文章を書いている世田谷美術館学芸員の塚田美紀も、アーティストの皆さんからは「メンバー扱い」していただいています。2022年12月22日。冬至の午後遅く、初めて5人全員が揃いました。美術館を見守るクヌギの大樹に向き合い、また夕暮れの砧公園を少し歩き、閉館後、真っ暗で静かな美術館の廊下に行って、3月にここで何を見せることができるか、考えてみました。難しいテーマには夜の闇がよく似合います。互いの顔もよく見えない状態で1時間ほど話したでしょうか。中村さんがふと踊り始めました。小さな始まりでした。写真は、その時の中村さんの姿を、塚田が撮影したものです。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス②】振付家・ダンサーの中村恩恵さんのコンセプトによる「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」。2023年1月13日に、2回目の集まりがありました。メンバーは中村さん、画家の泉イネさん、写真家のトヨダヒトシさん、この記事を書いている学芸員の塚田美紀、そしてプロジェクトの記録を撮っていただく写真家の今井智己さんの5人です。プロジェクトのテーマを手探りするのに、どんな方法を取ればいいか。「初回の冬至の日にやったことを、ルーティンとして繰り返してみては」と泉さんが提案しました。季節が巡る、という長いスパンの時間を意識しながらのプロジェクトですから、地道な「繰り返し」は相性が良さそうです。クヌギの木を眺めてから砧公園に向かい、クヌギに戻る、というのがルーティンです。この日はなぜか、メンバーの視線が地面に釘付けでした。空ではなく大地に向かって奇妙に伸びた桜の枝。今しがた地中から穴が開いたばかりではと思える、たくさんのモグラ塚。ふと、トヨダさんが中村さんを呼びとめ、撮影し始めます。夕暮れが迫ってものがはっきり見えなくなるまで散策を続け、モグラや樹木の生についてとりとめもなく話し、すっかり暗くなる頃にクヌギの木のもとに戻ると、中村さんは、画家ウィリアム・ブレイクが描いた生命の樹のお話をしてくださいました。閉館後、美術館の廊下で実験をしました。今井さんが前回撮ってくださった記録写真を、真っ暗な廊下に投影。巨大なクヌギの姿が浮かび上がります。その中で、今回の散策と思索を経た中村さんが動いてみる。それをさらに今井さんが撮る。そんな実験です。投影されたクヌギの木は、昼間とは別の生命体のようでした。写真は、実験中に塚田が撮ったものです。数日後、中村さんから全員宛にメールがありました。ブレイクの小さな版画集を密かにバッグに忍ばせていたのに、どうしてもうまくお見せすることができなかった、とありました。それは、画家として生き、戦時中に戦争画を描くことを迫られて筆を折り、その後長く沈黙を貫いたという、中村さんのお祖父様の形見の版画集でした。【中村恩恵|ワーク・イン・プログレス③】美術館に集まる日以外にも、「カナリアプロジェクト 沈黙のまなざし」の活動は続いています。季節の行事について、時事問題について、あるいは幼い日や青春時代の経験について。長い長いメールがぽつぽつと往来します。メンバー同士が、それぞれの歩み方を少しずつ知ってゆくプロセス。初回の冬至の日に今井智己さんが撮った記録写真を、2回目に集まる前に各自で見て、感想を伝え合うこともそんな手探りのひとつでした。冬至。4人のアーティストと1人の学芸員が初めて揃って顔を合わせる。クヌギの木を初めて5人で見上げる。誰もが落ち着いたふりをして、密かに心もとなく感じている。今井さんの写真には、初めての出会いの時にしかない、人やものとの距離の定まらなさが、静かに記録されていました。中村さんをはじめ、泉イネさん、トヨダヒトシさん、今井智己さんは、みなそれぞれの領域で息長く作品発表の経験を積んできたアーティストです。が、今回のプロジェクトは、ダンサーは必ずしも踊らなくともよく、画家は描かねばならないわけではなく、写真家はいつも写真を撮るとは限らない、という前提で始まっています。表現者としてこの社会を生きる葛藤について考えるプロジェクトですから、「表現すること」に対して、メンバー全員が丁寧に、用心深い態度で向き合い直したいのでした。とはいえ、プロジェクトを写真で記録する役目を負った今井さんは「何も撮らない」わけにはいかず、この記事を書いている学芸員の塚田美紀も、プロジェクトを「何かのかたちに導く」責務があります。散策しながら、プロジェクトメンバーはとりとめもなく話を続けます。その思考の流れ、というよりむしろ、うまく流れていかない滞りや躓きをその姿のまま残し、共有することがどこまで可能か。それがこのプロジェクト自体の姿を決めるだろうという見込みがありました。塚田は今井さんの写真を見て、この姿ならきっと大丈夫、と思えました。あの日の時間が写っていましたね、と中村さん。写真1枚目は、撮影中の今井さん。2枚目は、夜の美術館の壁に投影した、今井さん撮影のクヌギの木です(2023年1月13日、塚田撮影)。